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福岡高等裁判所宮崎支部 昭和28年(ラ)6号 決定 1953年5月22日

抗告人 峯苫誠一

抗告人 峯苫ヒデ子

右両名代理人弁護士 宮城金夫

主文

原審判を取消す。

抗告人等の氏「峯苫」を「大久保」に変更することを許可する。

理由

抗告人等代理人は、主文と同趣旨の決定を求め、その抗告理由の要旨は、抗告人等夫婦は、昭和三年一〇月一〇日○○○県○○郡○○町郡○○○○番地大久保久太郎同人妻光枝と養子縁組をなし、同人等の養子となつたが、光枝は抗告人誠一の叔母で、久太郎夫婦と抗告人等とはその後二〇余年間円満に過してきたところ、養父母の意に従つて養家の農業に従事していた抗告人等の二男忠夫と養母光枝の姪で、抗告人誠一の従妹にあたる川原フミ子との結婚を拒んだことから不和を生じ、忠夫は昭和二七年九月分籍し、抗告人等は同年一〇月二日協議離縁により縁組前の氏「峯苫」に復し、抗告人等の子四人も裁判所の許可を得て父母の氏「峯苫」を称することになつた。しかして、抗告人等は昭和三年一〇月一〇日以降「大久保」の氏を名乗り、殊に抗告人誠一は、二〇余年の長い期間に亘り「大久保」の氏で○○に奉職し、職務関係はもとより、一般社会生活上の交際、通信、信用、金融、商取引等の関係も、「大久保」の氏が根拠をなしているので、「峯苫」の氏では日常不便不利を生じ、今後公簿上の不動産所有名義その他公利権利義務文書の名義変更等に多大の面倒が予想され、世人にも迷惑を及ぼすおそれがある。なお、抗告人等の子女五人は、抗告人等が「大久保」の氏を名乗るようになつてから出生したもので、学校においては勿論社会においても「大久保」の氏で一貫してきた関係上、ここに「峯苫」と改めるにおいては「苫」なる文字の難解のため、少なからず童心を苦しめつつあるが、その反面また社会人も同様不便と迷惑を受けることは必定である。さすれば、敍上の事情は、戸籍法第一〇七条に、いわゆる止むを得ざる事由に該当するものと認むべきが相当であり、しかして、本件「峯苫」の氏を「大久保」の氏に変更したがため、他に不利益をきたすおそれもないから、原審判が離縁前の養父大久保久太郎の不同意を理由として本件申立を却下したのは不当である。それで、その取消を求めるため本件抗告に及んだというにある。

よつて、按ずるに、本件記録にあらわれた大久保久太郎の戸籍謄本、抗告人誠一の戸籍謄本、大久保忠夫から抗告人誠一あての手紙、峯苫(大久保)よし及び大久保久太郎の原裁判所に対する回答書、抗告人両名の審判官に対する申述調書、不動産登記簿謄本(一通)及び同抄本(二通)営業広告ビラ(一通)の各記載を彼此綜合すれば、抗告人等は、前段記載のとおり、大久保久太郎夫婦と養子縁組をし、昭和二十七年一〇月二日協議上の離縁をして、縁組前の氏「峯苫」に復するまでの間約二五年間の長期間に亘り、「大久保」の氏を名乗り、その氏をもつて、公職につきまた、社会生活上の交際、通信、金融、商取引、不動産の得喪、変更等をなしてきたばかりでなく、その間出生した四男二女は学校においてはもとより、社会においても抗告人等と同様「大久保」の氏で通してきたので、抗告人等が離縁により民法第八一六条により縁組前の「峯苫」の氏に復したとはいえ、それにより、あらゆる方面における抗告人等の不便不利はもとよりのこと、抗告人等及びその子女をめぐる世人にも迷惑を及ぼすこと、まことに甚大であると思料されるのである。それに、抗告人等の子女は、いずれも難解な「峯苫」の氏よりも「大久保」の氏を希望しているし、しかして、抗告人等が「大久保」の氏の変更の許可を得たとしても、さきに養父母であつた大久保久太郎夫婦との間には、何等従前のような身分関係を生じるものではなく、従つて、その間何等の権利義務の関係をも発生する余地もないから、同人等には勿論、その他にも悪い影響を及ぼすものとは考えられないし、しかも、それがため、家の規定を廃止した民法の精神に反するものともいえないから、敍上の事情のもとにおいては、抗告人等の氏を「峯苫」から「大久保」に変更するについては、戸籍法第一〇七条に、いわゆるやむを得ない事由があるものと観るのが相当である。さすれば、本件氏の変更の許可申立を却下した原審判は不当であり、本件抗告は理由があるから家事審判規則第一九条第二項により、主文のとおり決定する。

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